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お雛さまの名品

古今雛(河北町 紅花資料館所蔵)

古今雛(河北町 紅花資料館所蔵)

古今雛

古今雛(酒田市 舞娘茶屋・雛蔵畫廊 相馬樓所蔵)

豪華な衣装の古今雛

 現在、段飾りなどを中心に最も多いのが、この古今雛です。歌舞伎役者を思わせる写実的な顔と、金糸や色糸を使った豪華な衣装がこの雛の持ち味。江戸時代の明和年間(1764~1772)の頃、上野池之端の大槌屋が原舟月という人形師に顔を彫らせて売り出しだのが、その始まりです。
 古今雛はその美しさからたちまち人気を集め、江戸はもとより京や大阪でももてはやされました。山車人形も製作していた舟月は、雛人形にガラスの目を入れることを思いつき、これもまた大いに評判を呼んだようです。
ちなみにこの形の雛人形は以前からありましたが、大槌屋は舟月の人形を売り出す際に、「古今雛」と名付け他と区別しました。「古今雛」とつけた訳を大槌屋は、「女の人がお待ちくださるようにと思いまして、優しく古今と名付けました」と言っています。語感の優しさが人形の雰囲気と相まって、人気が出たのも頷けます。

享保雛(河北町 紅花資料館所蔵)

享保雛(河北町 紅花資料館所蔵)

享保雛

享保雛(鶴岡市 秋野家所蔵)

大きな享保雛

 名前の通り、江戸中期の享保(1716~1736)頃に作られていたものといわれ、おもに町屋などで飾られていたようです。
 顔の表情は能面のように静かで、神秘的な雰囲気を漂わせています。男雛は束帯に似た姿で、右手には笏を携えています。一方、女雛は唐衣や五衣に似た装束を着、冠と桧扇がその姿を飾ります。
いずれも金欄や錦を使った豪華な衣装で、女雛の赤い袴(紅染め)には錦が入って大きく膨らませてあるのが特徴的です。
 この当時、まだ段飾りはなく、台の上に毛氈を敷いて雛を並べ、その前にお供えのご馳走などを飾っていました。
 そのため、人形の大きさが今のものより大型で、大きなものでは45㎝~60㎝以上もあります。雛の大きさがエスカレートするあまり、享保6(1721)年には享保の改革の一環として大きさを8寸以下と定め、24㎝以上の雛の禁止令も出たほどです。
 この系統の雛は明治の末まで作られ、飾られていました。

次郎左衛門立雛(河北町 紅花資料館所蔵)
次郎左衛門雛(河北町 工藤亮輔家所蔵)

次郎左衛門立雛(河北町 紅花資料館所蔵)

次郎左衛門雛(河北町 工藤亮輔家所蔵)

丸いお顔が愛らしい次郎左衛門雛

 唯一製作者の名で呼ばれているお雛様です。作ったのは、京都の人形師、雛屋次郎左衛門。初めは、上流階級の雛人形として作られていましたが、宝暦11年(1761)に江戸に下り、日本橋の室町に店を出してからは、江戸の人気をさらいました。
次郎左衛門雛の特徴は、丸い顔の愛らしさ。切れ長の目に小さなかぎ鼻、そしてちょこんと紅の置かれた小さなロ元は、それまでの面長の雛と違い、庶民に親しみやすさを与えたのです。
 男雛は黒い抱に袴の束帯姿。女雛は五衣、唐衣に裳の衣装で、冠はつけていません。派手さを抑えた落ち着いた風情も、この雛の特徴です。
 いくつもの川柳に詠まれ、江戸の庶民に愛された次郎左衛門雛は、明和になって古今雛が売り出されるようになると、すっかり旧式になってしまいました。それでも、寛政(1789~1801)末まで30年ほどその人気は続いていたようです。

寛永雛

寛永雛(酒田市 本間美術館所蔵)

初期の雛・寛永雛

 寛永年間(1624~)になって始めて装束雛が登場します。こうしたごく初期の雛を寛永雛と称しています。寛永・正保・慶安と年号が移る間に雛道具が製造され、中には蒔絵が施されたものまで出てくるようになり次第に高級化されます。このことが徳川幕府による金銀箔押の禁止令を出す原因となりました。尚、元禄年間に(1688~)登場する雛を元禄雛と言う場合もありますが、寛永雛と同じように頭は木製で男雛の頭と冠は同一木で作られ、女雛は天冠をつけていません。

有職雛

有職雛(鶴岡市 致道博物館所蔵)

有職故実にもとづいて作られた有職雛

 有職故実にもとづいて公家の装束をお雛さまに仕立てたもので、宝暦(1751~1764)の頃作られました。「衣冠雛いかんびな」、「直衣雛のうしびな」、「狩衣雛かりぎぬびな」と装束によって3種類があります。正装、常用など着せ替えの装束をもつ雛もあり、一般用に売出されたものではなく、公家が特別に注文して作らせたお雛さまです。宮中の公式の装束を製作していた高倉家や山科家に衣服を作らせたので、高倉雛や山科雛とも呼ばれ、男雛が有職雛で女雛が古今雛という対の雛は親王雛とも呼ばれています。

芥子雛

芥子雛(鶴岡市 旧風間家所蔵)

極小の雛・芥子雛

 徳川幕府による禁制のへの反動によって「芥子雛」と呼ばれる極小の雛人形が流行します。大型の雛が贅沢禁止令の影響で度々制限されたために、江戸の職人たちの反骨心が高さ10センチ以下の繊細な細工人形を誕生させました。中には3センチ以下の雛も登場し、庶民はもとより大名家や大奥まで珍重されました。顔や手が象牙でできた象牙雛や木目込雛など様々な種類があります。

旧庄内藩主酒井家雛道具

旧庄内藩主酒井家雛道具(鶴岡市 致道博物館所蔵)

極小の雛道具・貝合わせ

 江戸時代中期以降に「芥子雛」と呼ばれる極小の雛人形が流行しますが、酒井家の「芥子雛」はその中でも群を抜いています。男雛は2センチ5ミリという小ささですが、この貝合わせの道具も通常の貝合わせに使う貝の20分の1にも満たないほどの極小の貝でできており、見事のひとことです。

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