新潟県〜山形県〜秋田県
人が生活を始めた場所は水辺であるといわれています。中世の荘園などは流域が一つのまとまりでありました。
東北地方においても、鎌倉武士は、川の流域を自身の領地として押さえ、川を交通の要衝とし、水産物や鉱物を取り出しました。
江戸時代に入ると、川の役割はいっそう価値を高め、寒冷で十分な米の取れなかった東日本の各地では石高制(米を流通経済の基準とすること)が確立するまで、川から揚がる財によって藩財政を維持していたところが多かったようです。
特に、東北地方の各藩では、流域から生産される金・銀・鉛といった鉱物の開発や鮭・鱒によって藩の礎を築いてきました。
当然のように川魚・川の交通などで生活を立てる集落が存在しました。鮭・鱒や落葉広葉樹の森にあるドングリなどが人々を養ったことで縄文時代の東日本優位が成立したことを説いたのは、考古学者・山内清男氏の「サケ・マス論」であります。
鮭・鱒は、人が海に進出する以前、川に遡上したものを捕獲する内水面漁業でありました。
また、主食がなかった昔は、雑穀・山菜・狩猟のなど、食べられるあらゆるものが食料でありました。当時の人々は多くの種類を毎年、組織的に利用するために、自然の中で「再生し循環して」手に入れることが主体でした。
鮭は「再生・循環」の自然からの恵みでしたが、主食という概念はなく、稗(ひえ)と鮭を組み合わせたりして食を維持してきました。また、鮭の生臭さを消すためにギョウジャニンニクのような植物を利用しておいしいスープにするなど様々な工夫が施されてきました。
このように、当時の人々にとりまして、鮭は、様々な漁法と共に、生活に密着した生きものでありました。

鮭を捕獲したら、30センチほどの木の棒で頭を叩いて即死状態にします。この「サケタタキボウ」は神の魚である鮭の魂をあの世に送り、慰霊するための道具として使われました。
新潟県から山形県にかけては、鮭の千本供養という風習があります。鮭の千本供養は、鮭が千本揚がると人一人の命と同じであるといわれており、供養の対象として塔婆を建てます。
それに対して、秋田県にある鮭供養塔は石碑であるように、鮭の供養の仕方にも地域差があります。
霜月15日(12月15日)は、新潟県から山形県にかけて、水神様の日といわれており、この日は、井戸に生きたフナを放して水神様をお祭り(新潟市近郊)したことや水神様の御膳を川の端に供える(新潟県岩船地方・山形県内陸部)などの風習があります。
鮭は漁が始まる際、最初に上がってくる鮭がハツナ(初鮭)といわれ、親戚に配って喜びを共にします。また、鮭漁の最後に終漁を祝って鰓(えら)と鰭(ひれ)、御馳走を川に流す儀礼があります。
また、鮭一本をまるまる川の水で煮たものを関係者と共に食し、骨は「ドンガラ汁」にして食べ尽くすことなど、鮭がトーテム(信仰の対象)として扱われていたこともわかっています。
鮭の溯上は例年9月下旬頃から始まり、12月まで続きます。(そ上時期は地域により異なり、年により変動があります。)
11月下旬(年により変動があります。)頃には最盛期を迎えます。
昼は鮭が暗い所で休みたがる習性があるため、夜中から朝方にかけてコド(※)に潜り込みます。
漁師は川岸の奥に一坪ほどの小さな仮小屋を建ててここで寝泊りしながら夜の間「コド」を見ながら鮭を引っ掛けます。
※「コド」とは、古くから伝わるのことで、川底に杭を打ち、その杭に竹や杉の皮、ヨシ、柳などを取り付けて、鮭が休息するための箱型をした装置のことです。
全国で伝統的な漁法が次から次へと消えてしまっている中で、この漁法は鮭の習性を利用した先人の知恵を垣間見る貴重な漁法です。
【参考文献 赤羽正春著「ものと人間の文化史133-1・鮭・鱒Ⅰ」2006年初版】
●鮭はかつて、お歳暮の人気「年取り肴」でした。保存が効くように塩引きなどに処理され、年越しの食膳に必ず出されました。「年取り肴」として広まったのは主に東日本で、西日本では「ブリ」が主流でした。
●近年のサケ事情
明治の末頃までの鮭の生産量は豊凶の差が激しかったようですが、近年は、そ上する鮭の数が安定しているため、比較的落ち着いているものと考えられます。
さまざまな要因が考えられますが、人口ふ化への取り組みが大きく影響しているようです。
●昔鮭は人々の生活と密接につながっていました。鮭は生まれ故郷の川のにおいを頼りに、約1万キロにおよぶはるかな旅路から戻ってきます。
近年、鮭を食品の商品価値という視点だけで評価する動きがありますが、一方では、鮭が人を養う環境を育てる魚であるということも忘れてはなりません。
【参考文献 赤羽正春著「ものと人間の文化史133-1鮭・鱒Ⅰ2008初版」
鮭は母なる川のにおいを感じ取りながら遡上します。においの成分は、ブナに含まれているのがテレピンとい物質、海藻に含まれているのがカルペンという物質です。
新潟県村上市の北部を流れる三面川(みおもてがわ)は、東北南部の朝日連峰の源流から流域各地にいたるまでブナ林が点在しており、ブナ林の豊富な生成物が希釈されることなくそのままそっくり海へそそいでいることが、鮭が遡上する河川として第一級と呼ばれている要因となっています。
一方、山形県庄内地方の遊佐町や秋田県にかほ市象潟町など環鳥海地域の各河川には、鳥海山のブナの森から豊富な湧水がそそぎこんでおり、この清流と、清流に運ばれた養分がもたらす生態環境が、鮭が遡上する要因となっています。
さらに、河口付近の海岸部に湧き出ている鳥海山からの伏流水で育った海藻が多いことも要因の一つであるといわれております。
また、鮭の生態保護に向けて、各地でブナの植樹も盛んに行なわれています。将来にわたる鮭の繁栄を願い、森と川との共生に力を入れていくことが大切です。
サケは、日本の川で生まれた後、ロシアやアメリカ付近の海まで行って大きくなり、約4年後、産卵のため自分の生まれた川に戻ってきます。これを母川回帰(ぼせんかいき)といいます。サケは98%自分の故郷を間違えません。
それにしてもサケは生まれ故郷の川をどのようにして探すのでしょうか。
サケは自分の生まれ育った川のにおいを覚えており、このにおいを頼りに溯上するといわれております。
サケが溯上できるためには、川がきれいで汚れていないことが大切です。
そのカギを握るのが湧水や伏流水などの大自然に浄化された水です。
このような清らかな水は森と密接なつながりがあり、最近各地で、ブナ森をはじめとした森を保護しようとする取り組みが始まっております。
産卵を終えて死んだサケは、多くの生物に利用されています。
ヒグマは溯上するサケを食べ、シカは産卵後のサケの死骸を食べます。
植物や微生物は、サケの死骸で肥えた土壌から栄養を補給しています。
このようにサケは食物連鎖の役割りも果たしており、地球規模のエコシステムにおいても重要な生きものの一つです。
鮭には寄り道しながら遡上するという習性があります。まっすぐ進まないため、 河口から採捕場までの距離ができるだけ短いほど比較的傷みが小さいのに対し、遡上する距離が長いほど傷みやすく黒ずんできます。こうなると食べてもおいしくなくなってしまいます。
●鮭は一生の大半を海で過ごしますが、生まれた場所が淡水であるため、分類では淡水魚となっております。
鮭には、良質なたんぱく質や不飽和脂肪酸が豊富に含まれています。この脂肪の中には、EPA(エイコサペンタエン酸)やリノレン酸、DHAなどが多く含まれており、血栓症や動脈硬化を予防する他、アレルギーなどの敏感肌の改善に役立つといわれています。
また、鮭の身の赤い色素・アスタキサンチンには強い抗酸化力があり、紫外線を体外に排出したり、シミやしわにも効果があるといわれております。
伏流水とは、雨や霧など地表に降った水が地下水となった後、再び地上に湧き出てくる水のことです。本来の地下水とは異なり、長い年月をかけて、豊かな森林の土壌や地層を流れている間にろ過され、さまざまなミネラル分を含んでいます。
扇状地や厚い砂礫層が堆積している河床を持つ河川水は地下に浸透し伏流水となりやすいといわれています。
※下記遡上時期は目安であり、年により変動があります。
| 新潟県 | 三面川 | 11月上旬~12月中旬 |
|---|---|---|
| 越後荒川 | 11月上旬~12月中旬 | |
| 阿賀野川 | 10月上旬~12月上旬 | |
| 山形県 | 赤川 | 11月上旬~12月中旬 |
| 最上川 | 11月上旬~12月中旬 | |
| 月光川 | 11月上旬~12月下旬 | |
| 秋田県 | 川袋川 | 10月上旬~12月上旬 |
| 雄物川下流域 | 9月下旬~12月上旬 | |
| 米代川 | 11月上旬~12月上旬 |