[プロフィール:歴史]
庄内の歴史は、二つの異なる文化をもつ鶴岡、酒田の歴史であるといっても、過言ではありません。この地では、弥生時代から稲作が行われていたとも言われていますが、史実に出てくるのは和銅5年(西暦712年)の「出羽国」設置以降です。平安時代中期には現在の鶴岡市を中心に大泉荘(荘園)が成立し開田が進みました。その後、鎌倉、南北朝、室町、戦国時代と時は移り変わり、武藤、上杉、最上氏と領主の変遷もありましたが、鶴岡の礎が築かれるのは、元和8年(西暦1622年)徳川四天王と言われた酒井忠次の孫・忠勝が入府してからです。以来250年もの間、酒井家の城下町として発展してきました。
一方酒田は、藤原秀衡の後妻とも妹とも言われる徳の前を守りながら、平泉から都落ちしてきた三十六人の家臣が中心となって築かれました。その後河村瑞賢による西廻航路が確立されると、港町としてその名が知られるようになります。「西の堺、東の酒田」と並び称され、北前船の来航によって入ってきた上方文化や江戸文化を基礎に、活気あふれる商人の町として繁栄してきました。
また、出羽三山で名高い羽黒山は、今から千四百年前、第32代崇峻天皇の御子蜂子皇子が開山したもので、羽黒派古修験道の聖地として長い歴史を誇っています。稲作と深く結びついてきた里人の信仰心が、この地の深い精神性を醸成してきました。
[プロフィール:風土]
庄内は、北緯39度、東経140度の位置にあり、アメリカの首都ワシントン、ポルトガルの首都リスボンとほぼ同じ緯度にあります。この緯度は、稚内から石垣島までの日本列島の位置する緯度の範囲を三等分した場合、ちょうど北から三分の一地点にあたる位置です。庄内地方は、山形県の西側に位置し、北は秋田県、南は新潟県に接している他、東は山形県を縦断する出羽丘陵、そして西は日本海に面しています。
面積2,405km2は東京都より広く、佐賀県、神奈川県とほぼ同じ面積です。海岸線133.1km、飛島を除くと120.7kmで、海岸線を有する39都道府県の中で鳥取県と並んでもっとも短い海岸線となっています。また、庄内砂丘は長さ35km、面積約55km2を誇り、長さ日本一の砂丘として知られています。面積は、日本第二の面積を誇り、鳥取砂丘、吹上浜砂丘とともに日本三大砂丘のひとつとされています。今は白砂青松の風光明媚な地ですが、江戸時代には旅人が「日本のうちにかかる所ありとは聞き及びざりし…」と記録しているほど、茫漠たる景観だったといわれています。
地形は、秋田県との北の境にそびえる鳥海山、東に月山を中心に連山をなす出羽丘陵、南に新潟県との境を画する朝日山地に囲まれ、中央に美田の広がる広大な平野を形成しています。その平野部を、山形県の母なる大河最上川や、赤川、月光川、日向川といった川が流れ、この地に潤沢な水資源を提供しています。庄内地方は古くから米どころとして知られてきました。これは、地酒の産地であることでも知られるように、水に恵まれているためといえます。鳥海山や月山のブナ林で浄化された水が、各所に滝としてまた清水として現れ、それぞれ名所としてまた名水として私たちを楽しませてくれます。
平野部の気候は、対馬海流の影響を受け海洋性の温暖な気候です。冬季には雪も降りますが、積雪量はさほど多くはありません。ただ冬季間は北西の季節風が強いのが特徴で、時折この地特有の“地吹雪”に見舞われます。もちろん山地間は冬季の積雪が多くなりますが、逆にこの地が四季の変化に富んだ季節感溢れる地域であることを表しています。
鉄道:新潟〜秋田間を結ぶJR羽越線が縦断しているほか庄内のほぼ中央の余目駅を起点とし、新庄で山形新幹線につながる陸羽線が横断しています。
空路:鶴岡・酒田の中心部から、車でほぼ二十分程度の位置に庄内空港があります。現在、東京便四便、大阪便1便、札幌便1便が運航されているほか国際チャーター便が運航されています。
道路:高速道が東北横断道酒田線(山形自動車道)は月山道路を介して全線開通し、日本海と太平洋が直結しています。また、現在新潟中条まで関越道が延伸しており国道7号線の利用により首都圏、近畿圏との接続が可能です。(現在日本海沿岸東北道の工事が進んでいます) 域内は、新潟、秋田と接続する国道7号線が縦断するほか、黄金色の稲穂の中をその他の国道、県市町道や農道が縦横に整備されています。 |